自由気ままなブログ生活

仕事と子育てに追われる日々を過ごすバツ持ちママが、育児のこと、生活のこと、役に立ちそうなことなど自由気ままに書いちゃってます。

私とおじいちゃん

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私のおじいちゃんは先日88歳でこの世を去った。

おじいちゃんとの最後の会話はケンカだった。


1年半前、電話でおじいちゃんから意味わからないケンカを売られ、私はそのケンカを買った。


後日母から「おじいちゃん、結構ボケてるから気にしないであげて」と言われたが、腹の虫が収まらず私は許すことができなかった。

昔からおじいちゃんとはよくケンカをした。


ケンカするほど仲がいい


これは案外当たっている。
多分孫の中でもケンカするのなんて私ぐらいだったはず。

そして、ケンカしていない時には一緒に飲みにも行った。
おじいちゃんはお酒が大好きだった。


一緒に飲みに行くのも孫の中では私ぐらい。

行き付けのお店に連れていってくれて、うれしそうに「うちの孫だよ」と紹介されたり、楽しそうに飲んでいるのを見るのが好きだった。

ただ、酔っ払ったおじいちゃんはタチが悪い。。。
一緒に飲んでは本当によくケンカをしていた。

50も年の差がある小娘と本気でケンカするおじいちゃんもめずらしいw


私が20歳くらいの頃、お金がなくて一時期おじいちゃんの家に居候させてもらっていたこともあったが、一緒に飲んでいてやっぱりケンカになり、私は人生初の家出をした。

3日後くらいにおばあちゃんから連絡があり、しぶしぶ帰宅した。

「おじいちゃんも悪かったと思ってるから。帰っておいで。」と。

帰宅したがお互い謝罪することもなく、テレビを見ながら普通に会話していた。


おじいちゃんも私も頑固なところがよく似ていた。


1年半前に電話でケンカした時は、おじいちゃんは確かに言っていることが少し変でちょっとボケていたんだと思う。

私が

「今週末会いに行こうと思うけど、家にいる?」

と電話をしたら、

「何しに来るんだ?金ならないぞ!金がないなら自分の親に言え!うちにはないぞ!」

と言い出したのだ。

もちろん私はそんなつもりではなく、おばあちゃんが目の手術を受けると母から聞いたので、その前に会いに行こうと思っただけ。

私も最初は普通に

「何言ってるの?お金じゃなくて、会いに行こうと思ってるんだよ。」

と話したが、まったく聞かず。。。

「何しにだ?金ならないからな!」

そんな会話が続いた。


当然私もイライラしてきて、

「分かった!もう二度と行かないから!」

と最後は電話を切ってしまった。


後日母からは「ボケるとお金に執着することがあるみたいよ。」と言われたが、まったく納得できなかった。

行けば、お金をもらいに来たと思われるくらいなら行かない!!と。。。


半年くらい経ったころ、おばあちゃんから留守電が入っていた。

「おじいちゃん、最近ますますボケてきちゃってる」といった内容だった。

私は折り返しもしなかった。。。


母からはおじいちゃんの近況はちょくちょく聞いていた。
元気に過ごしている、という話だった。


安心していた。

「二度と行かない」と言った手前、「行く」という電話はできずにいた。

何か行くきっかけがあれば。。。


私はもうすぐ出産予定だったこともあり、出産して落ち着いたら子供を見せに行くという理由で会いに行こうと考えていた。



ある日朝起きて朝食の準備に終われていると、母から1件LINEが来ていた。

旦那サマを送り出し、息子クンを保育園へ送って一息ついた頃確認した。


「おじいちゃんが亡くなった」


たった一言。
それだけだった。


そっか。。
もう年だったしな。。


私はこれ以上の反応はできなかった。


そのLINEから3時間くらい経った頃おばあちゃんに連絡した。

おじいちゃんは司法解剖にまわっていて、今日は来ても会えないと言われた。

私は妊娠9ヶ月。
片道1時間以上かけて電車で行くのはかなりキツイ。

母からも無理しないでいいからと言われ、その日は行くのを止めた。


旦那サマに電話をした。

「おじいちゃんが今朝亡くなったみたい。」


そう自分の口から発した時、急に現実味を感じた。


「ケンカしたままだったのに。。。」


そう言ったと同時に涙が止まらなくなった。


2日後、葬儀に出席した。
家族葬と聞いていたが、たくさんの人が出席していた。


「意地張ってごめん」
「ありがとう」
「ばいばい」


それだけ伝えた。
そしておじいちゃんは灰と骨になった。


火葬場を出ると晴れなのに雨が降ってきた。


「おじいちゃんの雨だね。」


母が言っていた。
無言で聞いていた。


雨はすぐに止んだ。
いい天気だった。